夫は仙台にある女子教育大学の准教授。
夫婦ともども東京から仙台に引っ越してきて、20年が経つ。
夫は児童の福祉現場から、研究の道に進んで現在の大学に落ち着き、私は越してきてから、趣味で始めたブリザードフラワーを続け、今ではこじんまりした教室を開くまでになった。
夫はとにかく頭の中がいつも研究のことでいっぱいで、勉強熱心な学生からは、まぁまぁ慕われているようだ。
「女子大に勤務しているのだから、もう少しオシャレにも気を使ったら?」と、いつも忠告しているのだが、服装にはあまりこだわらないみたいだ。
どこまでも合理的で、曜日ごとに着るシャツやスーツ、ネクタイを決めて、忠実にそのサイクルを守っている。
毎朝着るものを考えなくて、楽なのだそうだ。
ルックスも悪い方ではないし、身だしなみも最低限は守っているから、普段はそれでも差支えないといえば差支えないんだけれど。
今度、夫がわりと大きな学会で発表することになった。
夫はたぶんその日も曜日で、着て行くスーツも決めてしまうだろうけど、私はいくらなんでも、その日ばかりは「曜日別スーツ」を着て行くのはどうかと思っている。
私の小さな教室の生徒さんの中にも、大学生のお嬢さんがいらっしゃる人もいるし、どこで夫を見かけるかわからない。
こうなれば、私が夫を連れてオーダースーツを作りに行くしかないと一念発起したのだけど、どんなスーツがいいかと思案中。
「オシャレなスーツならイタリアのスーツ」というところまでは決まったんだけど、なかなかその先に進まない。
「スーツはどこで作るかではなく、生地で作れ」と言われるらしい。
イタリアスーツの生地と言えばゼニアかロロ・ピアーナらしいですよ、と教室に通うOLの生徒さんから教わった。
だけど、スーツなんてふだん関わりのない私は、どこがどう違うのかなんて分からない。
あなたは今、特別なスーツを作る時、生地の違いがよく分からなくて悩んでしまっていますか?
意外とそんな人も多いようですので、この記事では、イタリアの二大巨頭、ゼニアとロロ・ピアーナを徹底比較してみます。
様々な角度から比べてみますので、お楽しみください。
ゼニアとロロ・ピアーナの生地の違い
世界最高峰生地の二大巨頭といえば、ゼニアとロロ・ピアーナです。
世界のセレブや著名人が多く着ているスーツとして良く知られる2社ですが、それぞれの生地を一言で表すと、「ゼニアは男性的、ロロ・ピアーナは女性的」と言われます。
なぜそう言われるのか、それぞれのメーカーの生地や、会社の背景を見てみましょう。
ゼニア
まずは世界的に品質の高さを誇るゼニアから見てみましょう。
ゼニアの背景
時計製造の工場を営む父のあとを引き継ぎ、イタリアでも有数のファミリー企業に発展させたのが、エルメネジルド・ゼニアです。
ゼニアの歴史は1910年から始まります。
エルメネジルド・ゼニアは4台の機械を使い、ファブリックの生産を始めたのをきっかけに、工場を設立したトリヴェロの地域に娯楽施設や、医療センター、道路などの公共施設を作りました。
また、地域住民に貢献するとともに、自然環境にも力を入れました。
絶滅寸前のビキューナを保護する活動団体である国際コンソーシアムに加入し、ビキューナを増やすことに尽力しています。
エルメネジルド・ゼニアは、ゼニアのファブリックは「世界で最も美しい」ものでなければならないと言っています。
そのファブリックを作るための最高級の天然素材を得るためには、自然との関係、地域社会との関係を大事にすることを基本としました。
自然環境の美しさとすべての人々が長期的に幸せであり続けるという信念を持ち、事業に活かしたのです。
また、エルメネジルド・ゼニアは好奇心旺盛で、エネルギッシュに次々と事業に着手するので、地元の人からは「地に足のつかない」人物と評されていたようです。
ゼニアの生地
原材料は全て最高級とされる原産国からの買い付けで、全てにおいて天然素材だけをチョイスしています。
特にウールにはこだわり、「スーパーファインウール」と呼ばれる最高級のウールを買い付けています。
スーパーファインウールは、 細さ19.5ミクロン(1ミクロン=1000分の1mm)未満のウールで、希少価値の高いウールです。
他に、モヘア、カシミア、アルパカ、ビキューナを取り扱っています。
ロロ・ピアーナ
ゼニアと最高級生地の名声を二分する、ロロ・ピアーナ。
次はロロ・ピアーナの背景や、生地への情熱を見てみましょう。
ロロ・ピアーナの背景
ロロ・ピアーナが誕生したのは、1924年、イタリアのテキスタイル生産の中心地、ヴァルセシアです。
ヴァルセシアは北イタリアのピエモンテ州にあり、首都はトリノです。
トリノはグルメの街としても知られますが、元は牧羊が盛んな地域でした。
そのトリノに程近い、ファッションの生産地ヴァルセシアで、薄利多売に走らず、最高級の原料で最高級の製品を作り続けているのが、ロロ・ピアーナなのです。
例えば、世界で最も細いとされる繊維は、アンデスの野生の動物、ビキューナという動物から採られます。
太陽の色に輝く、とても柔らかな黄金の毛を持つビキューナは、インカの人々にとって、神聖な動物でした。
そのビキューナは、インカ帝国が滅亡した時期に、密猟者によって乱獲され、絶滅の危機にあいます。
1994年にロロ・ピアーナ率いる国際コンソーシアム(共同体)は、ペルー政府と協定を結びました。
現地の人々がビキューナを自分たちの権利とし、ビキューナを保護すると同時に、刈り取った毛をコンソーシアム参加企業に提供し、収益をあげることを法的に保証するというシステムです。
この措置のおかげで、ビキューナと現地の人々の生活は守られ、企業もビキューナを保護しながら、その希少な繊維を手に入れることが出来るようになっています。
ロロ・ピアーナは、ペルー初の民間のビキューナ保護地区「フランコ・ロロ・ピアーナ保護区」を設立し、現在もその保護地区で、ビキューナは観察されながら自由に生きています。
同様に、ビキューナの密猟で悩んでいたアルゼンチン北東部カタマルカ州でも、地元企業を取得し、広大な土地でビキューナを保護しています。
ロロ・ピアーナの生地
ロロ・ピアーナのこだわりは、最高級品質のファブリックは最高級の原材料からというところです。
「最高の製品のみを保証する」というロロ・ピアーナ社のポリシーを守るため、ストイックなまでに素材の品質にこだわり、世界各国の最高級の天然素材を追求しています。
ロロ・ピアーナが最高級の天然素材を求める時、まずは現地に赴き、実際に目で確かめ、生産者との対話を大切にすると言います。
最高級の天然素材は、納得のいくまで時間をかけて開発するのがロロ・ピアーナ。
世界で最も細い、繊細なベビー・カシミアを開発した時も、中国、モンゴル地方で数年をかけ、地元の酪農家たちと地道に取り組みました。
ベビー・カシミアが取れるのは、山羊の一生のうち、一頭につきたった1回きりだと言います。
そして1回で採取できる毛は、わずか30g。
本当に希少なものなのです。
他の天然素材も同じように地域に赴き、地元の人との共同作業で生産に取り組んでいます。
それは、ただ天然素材を得るだけでなく、地元の人々に仕事をしてもらうことによって、その伝統文化を維持することへの貢献も意味します。
ロロ・ピアーナの他の天然素材として、先ほどご説明したビキューナ、カシミア、ロータス・フラワーなどがあり、どれも希少で繊細な素材ですが、ロータス・フラワーには特別な工程があります。
蓮の花は、仏教国の日本人にも、とてもなじみ深い花のひとつです。
ミャンマーのインレー湖に自生する、蓮の花の地下茎の繊維を取りだして作るのが、ロータス・フラワーです。
ロータス・フラワーは、現地の女性の手によって、手作業で行われます。
昔ながらの巧みで繊細な技で作業され、劣化を防ぐため、地下茎を採取してから24時間以内に行わなければなりません。
しかも、ごくわずかしか取れず、1ヶ月で紡げるのはたった50mほど。
その繊維は極めて細く、ブレザー1着を作るのには13,000mを要します。
従って、生産量も限られており、使われる製品もごく少数で、非常に貴重な製品です。
そして、ロータス・フラワーの製造は、同時にインレー湖に暮らす人々の、昔からの自給自足の生活も支え、尊い文化を絶滅から守る取り組みでもあるのです。
ゼニアとロロ・ピアーナの価格を比較
ゼニアもロロ・ピアーナも、それぞれ価格帯のレベルがあります。
次は、気になる価格を比べてみましょう。
なぜ同じ生地を使っているのに価格が違うのか
ゼニアもロロ・ピアーナも、自社で素材から仕上げまでを一貫して製造する「ミル」という業態のメーカーです。
ミルに対して「マーチャント」があり、マーチャントは商社のことで、原毛を買い付けて、複数のミルに生地を作ってもらいます。
ミルは自社で生地を製作するほか、ゼニアやロロ・ピアーナのように、自らも製品を作って販売しているところもあり、一貫して自社で行うため、製品を安く提供することができます。
同じ生地を使っているのに価格が違うのは、仕立ての方法によるものです。
実はオーダースーツにも「パターンオーダー」「イージーオーダー」「フルオーダー」という3パターンがあります。
パターンオーダー
既成の見本服の中から、一番近いサイズを選び、その型紙を元に丈を調整して作るものです(横寸法、体型補正はできません)。
工場でのマシンメイドで、5万円以下からと低価格、かかる時間は2週間程度です。
イージーオーダー
予め用意されている数百種類の型紙の中から、一番近いサイズのものを選び、仕立てる方法。
工場でのマシンメイドで、かかる時間は1ヶ月程度です。
価格は各洋服店の取り扱う工場やオプションなどによっても異なりますが、6万円~12万円程度で、低価格のものは発展途上国の縫製工場の場合があります。
フルオーダー
採寸し、それをもとに一から型紙を作って、完全オリジナルのスーツを作る、本格的な仕立て方法です。
テーラーによるハンドメイドで、その人の体型やクセに応じて微調整ができます。
かかる時間は2か月程度で、価格は約15万円以上からとなります。
ちなみに、価格は、テーラーや生地にもよりますが、ゼニア、ロロ・ピアーナ共にイージーオーダーで、平均11万円くらいからのようです。
タグに注目
オーダースーツには、裏地にタグが付いています。
ゼニアでは既製品用の生地とオーダー専用生地に分けており、既製品用生地がオーダー専用生地に使われることはなく、逆もまた然りです。
このため製品を判別するために、ゼニアでは赤ラベルと青ラベルを用いています。
オーダースーツ専用生地で作られた、オーダースーツには赤ラベル、それ以外の既製品用生地で作られたものには青ラベルがつけられます。
生地はどちらもゼニアのものを使っていますが、専門店やセレクトショップで販売される既製品と、テーラーで注文されて作られる製品とを明確に分けるというゼニア独自のポリシーにより、こうしたことが行われています。
そのため、ポールスミスやビームスなどで販売されているゼニアのスーツには、青ラベルがつき、ゼニア直営店で作られるオーダーメイドのスーツには赤ラベルがつけられるのです。
着心地やエッセンス
ロロ・ピアーナの生地の特徴は、なんといってもドレープの美しさと肌触りのなめらかさにつきます。
ロロ・ピアーナのオーダースーツを着た人は、もう他のスーツに袖を通せなくなると言います。
着用した時のなめらかさの秘密は、カシミア使いにあると言っても過言ではないでしょう。
絶妙な糸の組み合わせのバランスが、ロロ・ピアーナ独自の風合いを生み、最高の着心地をもたらしてくれるのです。
それゆえに動きやすく、また生地が傷みにくいというのもロロ・ピアーナの良さでもあります。
ロロ・ピアーナの生地は、色合いについても全体的に遊び心があり、ちょっと粋で、どことなくノーブルで上品な色気があります。
ロロ・ピアーナが女性らしいと言われる所以でしょう。
対してゼニアは、しわになりにくさを追求した「トラベラー」や、肉厚でしっかりとした「エレクタ」、夏でも涼しく着られる「クールエフェクト」など、ビジネスユースに向けて、質感や機能性をアピールします。
また、繊細な糸を使い、光沢感と高級感を打ち出した「トロフェオ」は、「ここ一番でゼニアのスーツ」と言われるように、質の良さや高級感が一目で分かるのが特徴です。
フォーマルな場ではゼニアのスーツは大いに活躍することでしょう。
着心地はもちろん最高レベルですが、機能性やシーンでの見栄えを重視するのは、非常に男性的です。
どんなスーツを作りたいのか
ここまでゼニアとロロ・ピアーナの違いを様々な角度から比較してきましたが、一番肝心なのは、どんなスーツを作りたいか、です。
言葉を変えれば、そのスーツを着た人が、どんな人であるかを演出したいか、ということにかかってきます。
ゼニアのスーツは高級感が漂い、セレブの香りを醸し出すのに効果的です。
各国の要人が好んで着用するゼニアは、ビジネスの場では非常に有効なスーツだと言えます。
一方ロロ・ピアーナは、着る人の楽しさを引き出すスーツと言われるように、あくまでも着る人の着心地や使いやすさを重視します。
ロロ・ピアーナに女性ファンが多いのは、生地や色の風合いの生み出す、柔らかさと色気に集約されていると思います。
光沢感やドレープは、着ている人の背景を想像させ、遊び心や余裕、懐の広さを感じさせるからです。
スーツは何と言っても着る人の好みではありますが、シーンで選ぶのも重要なファクターです。
そのシーンでの立場や立ち位置、どんな人物を演出したいかで、決めるのがおすすめです。
まとめ
ゼニアとロロ・ピアーナの比較について、お伝えしてきました。
それぞれ、生地だけでなく、企業の特色や活動内容まで掘り下げました。
ゼニアもロロ・ピアーナも、天然素材にこだわり、地域や社会に貢献している、素晴らしい企業です。
アンデス山脈に生息する希少動物、ビキューナに関しては、双方ともコンソーシアムに入り、ビキューナのみではなく、現地に暮らす人々の生活や伝統をも支え、保護しています。
ゼニアが男性っぽい生地、ロロ・ピアーナが女性っぽい生地と言われる理由も、生地作りへの思いが反映していました。
ゼニアは機能やビジネスマインドを意識した生地作りを追求するのに対し、ロロ・ピアーナはあくまでも、着る人の肌触りや心地よさをストイックに追求しています。
これはもう、どちらの方が良いというのではなく、最終的には本当に、着る人の好みによるところです。
さて、冒頭の大学准教授を夫に持つ、ブリザードフラワーの先生はどちらを選んだと思いますか?
真面目に研究をしている夫は、将来を約束されています。
そのため、上昇志向や男性性を前面にアピールする必要はなく、優雅さや立ち居振る舞いを、より魅力的に見せてくれるロロ・ピアーナを選んだようです。
上に立つ人は、余裕があってフランクな、そしてちょっと遊び心もある魅力的な人でいてほしい、そんな奥様の女性としての願望も入っているのかもしれません。
あなたなら、どちらを選びますか?