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知らずにダンディズムは語れない!レジェンドが遺した不滅の名言

伝説の男。
永遠のヒーロー。
不滅のカリスマ。

いつの時代も男を熱くさせるキーワード。

そんなレジェンドが残した名言は、我々を鼓舞し、勇気づけ、まだ見ぬ挑戦の舞台へと駆り立てます。

とは言え、日頃からダンディズムを志し、己を磨くことに余念のないダンコレ読者には、ちょっとやそっとの名言で心動くものではありません。

そこで、ご登場願うのが、レジェンドオブレジェンド。

伝説の中の伝説。

誰もが認める、圧倒的存在感とダンディズム

高倉健白洲次郎松田優作の3氏。

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しかも、ここで取り上げる名言は、単なる名言ではありません。

各氏の人生において、一回限りでなく、生涯を通じて幾度となく、繰り返し述べられたもの。

人の価値観は、何度も繰り返し述べられる、その言葉に色濃く反映されるものです。

つまり、ここで紹介する名言は、レジェンドを作り上げた、その価値観を表したもの。

偉大なる男たちが生涯を通じて発した、その価値観。

レジェンドをレジェンドたらしめた、その根底となるコアバリュー。

これを学ぶことは、あなたのダンディズム道に大きな影響を与えることでしょう。

どうぞ心して、偉大なるレジェンドの言葉を噛みしめ、味わい、あなたの一部として頂きたいと思います。

高倉健

高倉 健(たかくら けん)
1931年(昭和6年)2月16日 – 2014年(平成26年)11月10日)

日本の俳優・歌手。
福岡県中間市出身、身長180cm、体重71kg、血液型はB型。
高倉プロモーション所属。
日本を代表する映画スター。半世紀以上にわたり活躍。代表作は映画『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』、『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』、『野性の証明』、『ブラック・レイン』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『あなたへ』など。2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章。

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人との出会いがすべて

“人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか。”

“人生ってそれ(出会い)だけって気がします。泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり、すべてが出会いから起きていますよね。”

“やっぱり出会う人でしょうね、一番大事なのは。どういう人に人生で出会うか。そこで決まるんじゃないですかね。やっぱり、いい人に出会うと、いろんなものをもらいますよね。”

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「高倉健」

この名前を耳にしたとき、あなたの心に広がる感情はどのようなものでしょうか?

尊敬、憧れ、畏敬の念。

思わず背筋を正してしまうような、厳かな気持ち。

多くの日本人に「名前」だけで、これだけの感情を呼び起こす男。

もちろんそんな男は、滅多にいるものではありません。

2014年、11月の逝去以来、生前の様々なエピソードや名言が紹介され、その人となりを、多くの人が知ることとなりました。

「孤高の求道者」「ストイックな一匹狼」といったイメージのある氏ですが、非常に「人との出会い」を大切にし、時には「出会いこそが人生のすべてである」と言った発言を多くされていることが印象的です。

その発言を裏付けるかのように、生前親交のあった関係者が口を揃えて、氏の礼儀正しさ、人に対する深い配慮、時にはユーモアとウイットに富んだ一面を紹介し、氏の人間的魅力、温かさを伝えています。

普段の意識がすべて出る

「人との出会い」の大切さのほかにも、氏はこんな言葉を残しています。

“気持ちは映らないっていうけど、でもやっぱり映るんですよ。どこかそういうのがあるんだよ。それがないやつはきっと、ちょっと光らないんだよね。”

映画や芝居での演技について、日常の心、普段の意識のあり方こそが大事だということを説いた発言。

どんなに演技力を高め、どんなに言葉で取り繕ったとしても、観る人には伝わってしまう人の日常の在り方。

この言葉こそ、氏が人との出会いや縁を大切にし、どんな人に対しても真摯で誠実に生きたことの証左です。

氏がブラウン管やスクリーンを通し、俳優としての域を越え、一人の人間として多くの人を惹きつけ、感銘を与えた理由はそこにあるに違いありません。

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高倉健、その存在そのものが醸し出すダンディズム

それは何よりも「人との出会いを大切にする」という氏の人生に対する日常の姿勢、人間としての真摯さと誠実さそのものであったのです。

白洲次郎

白洲 次郎(しらす じろう)
1902年2月17日 – 1985年11月28日)

日本の官僚、実業家。兵庫県芦屋市出身。
終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任。

連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、GHQと渡り合う。
その歯に衣着せぬ言動や信条を貫く姿勢から「従順ならざる唯一の日本人」と評される。
吉田政権崩壊後は、東北電力の会長やゴルフクラブの支配人など実業家として活躍した。

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プリンシプルさえあれば人生に迷いなし

“プリンシプルを持って生きれば、人生に迷うことは無い。”

“プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルが絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい。”

“すべての物事で大事なのはその事自体より、それに掛かり合っている原則だということを忘れてはならない。”

“何でもかんでもひとつのことを固執しろというのではない。妥協もまた必要なこともある。しかしプリンシプル(原理原則)のない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎない。”

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ダンディズム原点にして頂点の男

白洲次郎。

日本人における真の男の格好良さ、ダンディズムを語る上で決して外すことができない、ダンディズム原点にして頂点の男

70歳を過ぎてからも「ポルシェ911」を乗り回し、スーツはサヴィルロウの「ヘンリー・プール」、シャツはすべて「ターンブル&アッサー」のオーダーメイド。

「ロック帽子店」のソフトを愛用し、雨の日は傘のロールスロイスと言われる「ブリッグ」の絹傘をさしかける。

お洒落やファッションだけでなく、生き方や仕事においてもその「格好良さ」は群を抜いています。

戦後GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ、時の首相、吉田茂からは「白洲300人力」と頼りにされる。

また権力者の傲岸な態度を一喝したり、ルールを軽視した要請をきっぱりと拒否したかと思えば、目下の者には「あんなに優しい人はいなかった」と慕われる。

徹底したダンディズム、強きを挫き、弱きを助けるヒロイムズ。

圧倒的な男としての格好良さに、現代においても明石家さんまや木村拓也など多くの著名人から心酔されています。

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徹底したプリンシプルの実践

そんな白洲次郎が生前、常に口にしていたのが冒頭に挙げた「プリンシプル(原理原則)」の重要性。

妻であった正子も「プリンシプル、プリンシプルと誠にうるさいくらいのものであった」と言っています。

彼自身のプリンシプルはイギリス留学において英国流のマナーと共に身に付けたもののようですが、生来生まれ持った気性と、豪商であった父の教育も色濃く反映しているようです。

いずれにしても、妻から「誠にうるさいくらいのものであった」と言われるほど徹底したプリンシプルの実践、日常意識の徹底ぶりこそ、彼の生き方、格好良さ、ダンディズムを作り上げたことは間違いありません。

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白洲次郎という男の格好良さ、ダンディズム

それは何よりも彼がプリンシプルを大切にし、その実践を徹底したことによるものであることを、彼の残した言葉から知ることが出来るのです。

松田優作

松田 優作(まつだ ゆうさく)
1949年(昭和24年)9月21日 – 1989年(平成元年)11月6日) は、山口県下関市生まれの俳優、歌手。

刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。
1970年代後半から東映セントラルフィルム作品、角川映画作品でアクションスターとして人気を博し、1980年代からは演技派としても認められるようになる。
出演したドラマ作品は太陽にほえろの他、俺たちの勲章、大都会PARTⅡ、探偵物語など多数、映画作品では「遊戯シリーズ」「蘇る金狼」「探偵物語」「家族ゲーム」「ブラックレイン」など卓越した演技力から、もっとも重要な日本の映画俳優の1人、カリスマと評されている。

引用: http://office-saku.com/img/artists/y_m/face.jpg
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お前たちは、俺には絶対に勝てない

“お前たちは俺には絶対に勝てない
 なぜなら、おれは24時間映画の事を考えているからだ。”

“ヤクザは24時間、ヤクザだから怖いんだよ!!”

引用: http://www.crank-in.net/img/db/1048438_300.jpg
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スクリーンに溢れる強烈な存在感。

何物かが憑依したかのような圧倒的な演技力、観る者の魂を揺さぶる突出した個性。

間違いなく松田優作は日本の俳優史上を語る上で、決して無視することのできないカリスマと言えます。

狂気寸前のエピソードの数々

そんな日本映画史上が生んだ屈指のカリスマは映画や、芝居に対する熱量の大きさから、しばしば狂気とも思えるエピソードが数多く残されています。

例えば、「野獣死すべし」という映画作品の主役に抜擢された際、それ以前に藤岡弘氏が主演を務めた、勇猛なイメージと重複することを頑なに拒み、実際に奥歯を4本抜いたというエピソード。

また肉体的にひ弱なイメージを出すために足を5センチ、本気で切ろうと思った話。

役になりきるため、過酷な減量や、私生活をすべて捧げることも厭わなかったという逸話。

意見の合わない監督やスタッフに対し、対立することも多く、時には暴力の行使に至ることも多々あったと言います。

引用: http://campingcar.shumilog.com/files/2009/01/047.jpg
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ハリウッドの脚本さえも変えさせた魅力

芝居に対する尋常ならざる熱意、映画に対するこだわりと情熱が彼を「ブラックレイン」というハリウッドの大舞台へと押し上げ、39歳にして病魔に倒れることがなければ、確実にハリウッドスターへの道を歩んでいたであろうと評する識者も多数存在します。

彼はブラックレインにおいて佐藤という日本のヤクザを演じ、ラストシーンではマイケル・ダグラス主演の刑事と格闘のすえ、逮捕されますが当初の脚本では、佐藤は殺されるという設定だったようです。

しかし、その圧倒的存在感、強烈すぎる魅力からパート2などの続編を考えたときに生存させておこう、という方針となったという逸話があります。

その逸話は映画の本場、ハリウッドの脚本さえも変更させる彼の俳優としての実力と人間的魅力を伺わせるに充分なものです。

しかし本人は「日本映画もハリウッド映画も何も変わらないですよ。ただ映画に対する尊敬の念の違いだ」という言葉を残しています。

“真剣にやっぱり映画に向かってほしいですね。
 癖(へき)ですから、役者の。
 いつも勝負しているっていうのは。”

という言葉を残し、自分に対してだけではなく、映画に関わるすべての関係者たち、俳優、監督、スタッフ、に対する厳しい要求が時には誤解や対立を生んだこともあったようです。

そんな彼が人に対して魅力を感じたのは、どこか人とは違う、もっと言えば破綻をも感じさせるような人間。

“ぼくはいい男とかどうとか、あまり興味ないんですよ。
 どこかちょっとイノセントだったり、フリークしている部分があったり、肉眼ではちょっとわからないけど、仕草でも、しゃべり方でもなんかリズムが違っている、どこかつまずいたりしている、破れている。
 そんな人って、男でも女でもチャーミングに見えるんです。”

自身の、映画に対する尋常ならざる情熱から生じる不和や不器用さを他の人にも見出すと、同じ波長を持つ同志としてのシンパシーを強く持ったのではないでしょうか。

引用: http://alm-ore.com/blog/archives/Yusaku.jpg
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映画のために日常のすべてから学ぶ生き方

彼は数々の逸話、武勇伝からしばしば勇猛な一面ばかりクローズアップされ、野生的な風貌と相まって粗野で荒々しい人間と思われがちですが、当然のことながら、野性的な部分だけで超一流のステージに立てるはずもなく、映画に対して、芝居に対して、非常に細やかでクレバ―な意見を残しています。

全部に感性を開いてないと、これから新しい映画っていうのは出来ていかないと思うんですよ。

ですから、もちろん音楽もそうだし、それからやっぱり絵を見ることもそうだし、土をいじることもそうだし、風を感じるのもそうだし、ありとあらゆるものに関して敏感じゃないと、当然人間に関しても敏感になれない、と。

誰でも目立つことに関してはすぐ気がつくんですけども、やっぱり潜在的に隠されてるものに気づくためには、いろんな角度でその人の考え方とかしゃべり方とか、それから目の見つめ方とか、耳の良さとか、音楽の趣味とか、全部含めて映画に絡み込んでいかないと。

映画という分野だけではなく、音楽、絵、モノづくりといった芸術、自然や人間にたいして常に細やかな気づきを持ち、学ぶ。

表面に現れる部分だけではなく、目に見えない潜在的なものへも気づきを向け、学びを得ていく。

その上、すべてを愛する映画、敬愛してやまない芝居の世界に活かしていく。

冒頭であげた「お前たちは俺には絶対に勝てない。俺は24時間映画のことを考えているからだ」という言葉。

松田優作は日々に、時々刻々に、日常のすべてを映画に活かし、捧げるために39年の生涯を駆け抜け、その伝説は今もなお人々に影響を与え続けています。

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生きることは楽しいことなんだ

人生を映画に捧げ、怒涛の勢いで駆け抜けた彼の生涯。

次の言葉を、生きるということに対して、真摯で誠実なすべての人に捧げたいと思います。

“うなだれていてもしょうがない。
 自分はできると信じ込め。
 もっと前を向いて生きろ。
 生きてることは楽しいことなんだ。”

引用: http://www.kakuta.tv/profile/nozawa/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%84%AA%E4%BD%9C%EF%BC%92.jpg
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まとめ

高倉健白洲次郎松田優作

誰もが認めるレジェンドオブレジェンド。

この伝説の男たちの名言をもとに、ダンディズムについて述べてまいりました。

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高倉健 「人との出会いを大切にすること」の人間としての真摯さと誠実さ。

白洲次郎 いかなる状況、いかなる相手であろうとも、「プリンシプル(原理原則)」を第一義とする生き方。

松田優作 「一つのものに情熱を傾け、身を捧げる生き方」

3人に共通するものは、どこまでいっても己の信念を貫き通したという事。

それは生き方や仕事に対する姿勢だけではなく、身にまとう服やアイテムなどにも、表れていました。

例えば、高倉健が愛用していたジャケットである「バラクーダG9」。

これは1937年の誕生以来、基本的なデザインを変えず、今日まで作り続けられている代表的モデルです。

例えば、白洲次郎が生涯愛用したツイードのジャケット。

これはロンドン、ザビルローの老舗「ヘンリー・プール」でオーダーした格式ある逸品。

松田優作が愛用したレイバン・ウィナーのサングラスは知る人ぞ知る、入手困難な伝説的アイテム。

服でも小物でも、仕事でも生き方でも、心底良いと思ったものを自身のスタイルに取り入れ、己のものとする。

だからこそ高倉健は高倉健として白洲次郎は白洲次郎として松田優作は松田優作として、誰も到達することのできない究極の高みへと登り詰めたのです。

誇り高きダンディズム、幾多の伝説、珠玉の名言。

偉大なるレジェンド達が遺した、永遠不滅のレガシィ(遺産)。

未来を生きる者のために。

愛すべき者のために。

あなたはあなたの生き方で、

何を遺しますか?

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